om shiva om

「愛が関係性であったことはない、愛は関わること」

 

関係性は、
何か完結したもの、
終わったもの、
閉じているものを意味する。

愛が関係性であったことはない、
愛は関わることだ。
それは常に、流れ、
終わることのない河だ。

愛は、
完全に止まることを知らない。
蜜月が始まり、
しかし、
けして終わることはない。
それはまるで
ある地点で始まりながら、
けして終わることのない
物語のようだ。
それは進行し続ける現象だ。

恋人たちは終わる、
愛はつづく。
それは連続体だ。
それは動詞であり、
名詞ではない。

では、
なぜ私たちは
関わることの美を
関係性へと
引き降ろしてしますのだろう?
なぜ私たちは
そんなに急ぐのだろう?

なぜなら、
関わることは不安だからだ。
そして、
関係性は安全だからだ。
関係性には、
確実さがある。
関わることは、
二人の見知らぬ同士の出会いだ。
たぶん、
一夜だけともに過ごし、
朝にはさようならを
言うことになるかもしれない。
明日何が起こるか、
誰にわかるだろう?

そして、
私たちはそれをとても恐れ、
それを確かなものに
しようとする。
それを予測可能なものに
したいと思う。
明日という日を、
私たちのアイデア
沿ったものにしたい。
それがそれ自身の表現をする自由を
許すことができない。
それで、
即座にすべての動詞を
名詞へと引き降ろす。

女性と、
あるいは男性と恋に落ちると、
あなたは即座に
結婚することを考え始める。
それを法的な契約にする。
どうしたら、
法律が愛になるのかね?

法律が愛になる、
なぜなら、
そこには愛がないからだ。
それはただの幻想で、
そしてあなたは
幻想は消えるものだと知っている。
それが消えてしまう前に落ち着くのだ、
それが消えてしまう前に、
別れることが不可能になるように、
何かをするのだ。

より瞑想的な人々とともにある、
地球の上に
もう少し光明の広まった
よりよい世界では、
人々は愛するだろう、
とてもとても愛するだろう、
しかし、
彼らの愛は関わることにとどまり、
関係性ではない。
そして、
私は彼らの愛が
ひと時だけのものだろうとは言わない。
あなたの愛より、
彼らの愛が深くいく可能性が
大いにある、
親密さの優れた質、
より詩的であり、
神がその中に在るような質が、
もっとそこにはある。
そこには彼らの愛が
あなた方のいう
いわゆる関係性が終わるよりも
ずっと長くあり続けるだろう
あらゆる可能性がある。

しかし、
それは法律、法廷、警察官によって
保障されたりはしない。
保障は内的なものだ。
それはハートから
のコミットメントだろう、
それは静かな
コミュニオン(交感)だろう。
もしあなたが
誰かといることを楽しむなら、
あなたはそれを
もっともっと楽しみたくなるだろう。
もしあなたが
親密さを楽しんでいるなら、
その親密さを
もっともっと探求したくなるだろう。

そして、
長い親密さの後にだけ咲くような
愛の花がいくつかある。
陽の光のもとで、
6週間だけ咲くような、
季節の花々もある。
しかし、
6週間のうちに、
彼らは永遠に去ってゆく。
咲くまでに数年を要する花がある、
また、
咲くまでに
長い年月を必要とする花もある。
それが長い時間を経るほど、
それはより深く行く。

しかし、
それはひとつのハートから
もうひとつのハートへの
コミットメントでなくてはならない。
それは言葉にすらされえない、
なぜなら、
言葉にすることで、
それは汚されてしまうからだ。

それは沈黙の中での
コミットメントでなくてはならない。
目から目への、
ハートからハートへの、
存在から存在への。
それは理解されなくてはならない、
言葉によってではなく。

結婚するために
教会や裁判所に行く人々を見るのは
とても醜い。
それはとても醜い、
非人間的だ。
それはただ、
彼らがお互いを
信頼していないことを表している、
彼らは自分自身の内なる声よりも、
警察官を信頼しているのだ。
それは彼らが
自分たちの愛を信頼せず、
法を信頼していることを示している。

Osho - The Book of Wisdom

 

 

 

在りたい自分へ(苦しいのは、問題を解決しようとしているからで、逆)

 

 

 

困難にぶつかって
どうにもならなくなり、
「もういい、どうにでもなれ!」
と開き直ったときに、
ことが急に好転し始めた
そんな話を聞いたことがあると思います。

これは、
『しよう、しよう」と自我が働かなくなるからです。

人は、自分にとって都合の悪いことほど
頑張って『しよう、しよう』としますが、
都合の悪いことほど
「出来なかったら…」という恐れの想いが強くなります。

あなたは恐れに突き動かされ、
本来のありたい自分から遠ざかってしまいます。

人は苦しいから
問題を解決『しよう』としていますが、
実は苦しいのは、
問題を解決しようとしているからなのです。
逆なのです。

こんな時こそ、
『自分はどうありたいか』、
ありたい自分で居ようとして下さい。

恐れがある限り、自我は頑張り、
真の問題解決を遠ざけてしまいます。
本当は、その問題こそが、
あなたにどんな恐れがあるのかを
見せてくれているのです。

恐れを取ることだけが
真の問題解決です。

なぜなら、
幸せとは恐れのない状態のことだから…

恐れを避けようと、
問題を解決してしまったら、
恐れだけが取り残されてしまうのです。

問題があるということを
恥じる心に気づいて下さい…
その心こそが
問題なのです。


愛の億万長者さんより転載
 
 
 

覚醒

 

 

 

天才的に皆さんを混乱させるこの言葉

『ザ・覚醒』

 

はっきり言います。

私のヒーリング、ドラゴンマスタイニシエーション™、セミナー。

 

すべては人間の覚醒を目的としています。

 

が!!しかし。

こんなにも混乱、焦ってしまう言葉。

この言葉自体にうっとおしさを感じる今日この頃です。

なぜなら、言葉は、

多くの人が使えば使う程、言葉にいろいろな波動が乗っかってしまうわけです。

その言葉が皆さんの所に届くと、

混乱や焦りが起きるのも当然。

 

一つクリアーにしておきたい事があります。

 

私のワークは覚醒を目的にしていますが。

覚醒すると、目の前から困難が消えるとか、

凄い人になれると期待してしまった瞬間、やはり焦りに繋がるでしょう。

 

覚醒したい気持ちはよくわかります。

それは覚醒する事が人間の魂に共通するこの世に生まれた目的だから、

言葉に反応したり、覚醒した人に反応するのは

魂の記憶が反応しているとも言えます。

 

でもね、覚醒ってさ。

なんにもしなくても良くなる事だったり、

悲しみや苦労をしない事で済むようになる事とは全く違うんですよ。

 

むしろ 逆 !!

 

自分の人生や自分の魂に責任を持つようになるから

忙しいし、大変になります。これまで見て見ぬ振りして来た

この世でやりたい事が一気にドカン!!きゃー時間なーい!!ってね。

 

でもそんな大変さを今しか出来ない、

素晴しい!!って一瞬一瞬、

出来事をただいまここにあるありがたい体験だと捉える事が出来ている

状態なんです。

やってもやらなくてもどっちでも良い事もわかるんです。

でもあれとこれ所だけはやりたかったんだ。

だからこの世に来たんだったと思い出してしまうんです。

 

悩みの中にどっぷりはまり込んでいると、確かに辛いですね。

抜け道を探したくなります。

でも悩みの中にどっぷりハマっている自分を上空から眺められるとしたら?

なんだか悩んでいる自分、それでも頑張って生きている自分が愛おしくありませんか?

 

こんな体験を出来るのも、今、この瞬間しかないんだなって思いませんか?

 

でもこれはね、上空から見えてこそ言える事かもしれません。

 

それでね、だれでも上空から自分や全体を見れるようになります。

宇宙はあたなにそれをしてもらえるようにずっと働いてくれています。

 

その事が体感できるようになるように私のような仕事も存在するのかもしれませんが。

私が一つ思う事。

 

今起きている事は全部自分で展開した世界です。

覚醒とはその事を受け入れられる準備ができた人に

起こる。

まあ、交通事故みたいなものなんじゃないでしょうか。

アクシデント。

あ、起きちゃった。

 

だからさ、楽楽、

こたつでのんびり。自分だけに幸せ(お金持ち、苦労しない、失恋しない、嫌われない、失敗しない、ずっと健康、死なない)を心底願っている人には覚醒はあり得ないと思う。

 

私が思うに、覚醒って人間にとっては辛い事なんだと思う。

だから覚醒したがらないのは私たち人間の方なんです。

 

のんびりだらだら、人生の道順を教えてもらって

教わった通りに道を踏み外さず、これが間違いと自分で思い込んでいる間違いを犯さず、進みたいなら、一生覚醒はしないんじゃないかな。

 

だって魂はそんな事するためにこの世に生まれたわけじゃないんだもん。

やりたい事がたくさんあるんだよ。

それはいつも言ってる経験とその経験から学ぶ事。
そして、感動。

苦難を避けて道を進む事とは全く関係がない。

 

覚醒は出来ないんじゃなくて、

したくないんですよ。

したら最後。この物語の全責任が自分にあるとわかってしまうから。

人に何も投影できなくなる。だって人が自分だとわかってしまう。

 

ずっと自分しかいなくなる。

 

でも、つまんないかというと

すっごく楽しい。その人生が愛おしくてたまらない。

悲しみも、苦しみも、痛みも、全部。

もちろん楽しい事だって。

 

でもこの境地に立つと、苦しい事やら悲しい事、辛い事、

いわゆるこの世での苦労に当たる事が起きなくなる。
自分のしたい経験ではなくなるからって事なんだけれど。
もうその経験はいいや。ってね。

 

 

でも覚醒を求めてくる人はこの苦労が起きない

と言う所だけを欲しがる。

だから覚醒したいと言う。覚醒さえすれば、苦労が消えるのにと。

 

でも、私はもう一度聞きます。

じゃあ、すべての人生に責任が持てますか?

この不公平、不平不満もすべて自分が選んだ事だと受け入れられますか?

それともまだ人のせい、親のせいにしておきたいですか?

 

とは言ってもね、苦しいものは苦しいと知っています。

だから私もこの仕事を今は辞めないし。

私はみなさんと同じ所にいて、今も変わらず同じ所にいますが。

苦しいドラマはもういいや。
たまにでいいかなと決めたのは私だとわかっています。
だから自分で辞めましたよ。
それを知っているから、
皆さんをこうして応援したいんです。

 

そしてね、今日は一つヒントです。

より覚醒できる方法。

こんな事いったらまた焦っちゃうのかな。

 

笑ってみい。

私のヒーリングを受けた人はみんなゲラゲラ笑う。

ニヤニヤするし、もう何もかもどうでも良くなる。

床に寝そべったまま、今裸にされてもまあ、それもありかな〜。
くらいの心境になる。
そうだよ、本当にどうでもいいんだよ。

もうまじめに考えるのは終わりだよ。

笑ってみい。

そしたら今より私が言ってる事がよくわかる。
スクリーンの前で笑いながらこのブログを読んでみたら?
まず、そんな事をしている自分に気持ち悪くて笑えるじゃん。
同居人に見られた日には‥。good luck!! だよね。

5月11日は大阪でDr.三浦直樹♡とコラボイベントをします。

先生はお医者さんですがちょっと普通のお医者さんとは違ってね。

面白いんですよ。

一緒にお食事をさせていただいた時に、

病気の方を笑わせるというワークをするとおっしゃっていました。

最初はみんな笑えなくて。

水戸黄門の笑いかたからスタートさせるんだって。

『ワッハッハッハ〜』

ってやつ。

でもだんだんみんな止らなくなって、

止めろといっても止められないらしい。

 

わかる〜!!

一日中笑い続けたら、病気がどっか行っちゃうと思う。

病気と怠慢張るから病気なんだよ。

病気の自分を上空から見たら、病気という自分を体験できる貴重な時間だとわかる。

でもそんな事がわかった日には、笑いが止まらない。

人生自体がかなり吉本新喜劇(私も大阪出身だから♡小さい頃からあれを毎週見て育ちました♡)なんですよね。

吉本新喜劇を見に行くと笑えるじゃん。

自分の人生を劇場にしてみると同じくらい笑えるぜ!!

 

Momoyo Kimiokaさんより転載

 

覚醒とお金

 

 

 

みなさん、 覚醒とお金はかなり深く関係しています。

 

神様って凄い!!

この世でお金が無いと生きにくいシステムを 作ったのはこのためなんだ〜。

 

 

みんな、覚醒したきゃお金稼いでごらんよ。

ただし、自分が好きな事でだよ。

 

と言った瞬間。

出来ますか?? お茶の間で夫の収入を当てにしている奥樣方は、

どきっ!!   だよね。

そして、何となく毎日会社に行って働いている人も、

どきどきっ!!   だよね。

 

そうなのです、 好きな事でお金を稼ぐ。

これが最も難しいからですよ。

 

なぜならね、 自分が輝き始めるからなんですよ。

一度自分の輝きを見てしまった時に、 後には引けない、

引く気ににはなれないものですよ。

 

それじゃあ、いいじゃん。   と思うけれどね。

 

そこからは自分との戦いなんですよ。

ずっと自分と向き合わなきゃならない。 好きな事でお金を稼ぐとき、 お金が入って来ない時は必ず自分からズレている。

と言う事は、その度に自分と向き合わなきゃならない。

自分と向き合いながら本当にこれは今自分がやりたい事かな?と常に自分のハートを感じなければならない。

思考ではなく、ハートを感じなきゃならないのです。それは一瞬一瞬なんです。

ここで、なぜ思考ではなくハートを感じなければならないかと言うと、 思考は常に安全策を考えてくれます。

でもハートは魂の輝けるほうに集中していますから、 そこに危険やスリル、または見た目的には失敗と言われるような事があろうとも、そちらを選択して欲しいと願うのです。

大概の場合、思考とハートは対立しているはずです。

その時に、いかにどちらがハートでどちらが思考かを自分で感じなければならないのです。

好きな事でお金を稼ぐ場合は、 自分がした選択で、それが思考だったのかハートだたのか

お金と言う、目に見える形で 結果がついてくるから、わかりやすいんですよ。

常に自分のワクワクの方を選択し続けるんです。

パワーがいりますよ。

楽々平坦ではないと思います。

 

だってワクワクは目に見えないものですもの。 それをこの世では形にしなきゃならない。

そして、あんまり好きでもない仕事でも、それなりにお金が貰えるシステムの 中にいる時は、さほどお金が貰える金額の変動もない分、 自分と向き合わなくて済むかもしれません。

その分、人と向き合う時間が多いかもしれませんが。

ある程度、形あるものの中から良さそうなものを選択していればいい。

 

 

しかし、その代償として現れるのが、

なーんか人生ぱっとしないな、いい事ないな〜。

オレって、私っていけてないな〜。

と自己嫌悪に落ちてしまいがちなんですよ。

というか落ちます。

 

本気で自分を幸せにするという事。

それは本気で自分の事が好きになれるよう、 自分の夢を叶えてあげなきゃならない。

 

もうみんな本当はわかっていますね。

 

お金が欲しいんじゃない。

人生がうまく行って欲しいんじゃない。

目の前の出来事がスムーズに進んで欲しいんじゃない。

それが決定的な幸せじゃない事。

 

でもそれが幸せだと信じ続ける方がある意味楽だった。 幸せではないけれど、楽だった。 そういうことです。

 

今の自分に死ぬ程自信が持てますか?

また持てるように自分は行動していますか?

していないとしたら、本当はどんな自分だったら 惚れ惚れするだろう?

その自分と今の自分は何が違うだろう?

 

こうしてどんどん好きな自分に向かって行けばいいですよ。

答えは必ず、胸の内にあります。

しかし胸の内を現実化する事に 喜びがあります。

 

これはね、本当に楽しい。

感動します。

でもね、大変ですよ。本当に大変。

 

ずっと自分だけを見続けなきゃならない。

 

世の中で、 覚醒した人っていいな〜

マスターとか言っちゃって、お金稼いでるじゃん と思ったら大間違いです。

彼らはつねに自分と向き合ってきた。

自分だけを輝かせるためだけに、一瞬一瞬過ごしてきなのですよ。

すると覚醒してしまった。 というお話です。

 

そして覚醒とは深まり続けるものです。

そうでなければ、覚醒体験で終わってしまうのです。

本気でストーリの外に出る。

それは個の学びを終わらせる事なのですが、 そのためにはひとまず、 自分を覚醒できるシチュエーションに持ってく手段として 自分でお金を稼いでみると言うのは良いんじゃないかしら。

 

 Momoyo Kimiokaさんより転載

 

 

 

オリーブオイルの選び方

 

 

 

 

「オリーブオイルの選び方」

 日本脂質栄養学会の前会長である奥山治美先生によると「オリーブオイルの過剰摂取は大腸前がん細胞を増やしやすく、脳出血促進作用がある」と指摘されています。これらを踏まえた上で、嗜好品として、オリーブオイルの選び方を簡単にまとめてみたいと思います。(あくまで参考にしてください。詳しくはプロの方に聞いてみましょう。)

まず、オリーブオイルは、生絞りジュースであると考えてから選ぶといいでしょう。

①必ずエキストラヴァージン・オリーブオイルを選び、日本の一般的なメーカーのものは絶対に避ける。

日本の一般的なメーカーを避ける理由のひとつに、日本はIOC(国際オリーブ協会)に加盟していないため、表示や品質に対して独自の規定で生産しています。
つまり、日本のメーカーがいくらエキストラ・ヴァージン・オリーブオイルとうたっていても、ほぼIOC基準を満たしていないことがいえます。

では、オリーブオイルの種類からみていきます。

ヴァージンオリーブオイルとは、生の新鮮なオリーブの実から物理的な処理(粉砕や圧搾、遠心分離など)のみでオイルを取り出して作られたオイルのことです。さらに、酸化が0.8%以下であり、最高級な品質のものを「エキストラ・ヴァージン・オリーブオイル」に分類されます。

その他、詳しくは省略しますが、オーディナリー・ヴァージンオリーブオイルやランパンテ・ヴァージンオリーブオイルもあり、これらは品質的に劣り、避けるべきです(日本にはあまり入ってこないと思いますが。)。この劣ったオーディナリー・ヴァージンオリーブオイルやランパンテ・ヴァージンオリーブオイルなどの食用には向いていないオイル使用して化学的に精製されたものが、精製オリーブオイルで、精製オリーブオイルにヴァージンオイルを混ぜたものをピュア・オリーブオイルというわけです。

また、オリーブの搾りかすなどを原料に化学的な溶剤で抽出して生産されたオイルを「ポマース・オリーブオイル」といいます 。日本ではこれをピュア・オリーブオイルとして販売できます。(最低ですね。)

よく「エキストラヴァージンオリーブオイルは加熱してはダメだから、加熱用にはピュア・オリーブオイルを使いましょう」などという方がいますが、ナンセンスだと思います。質の良いエキストラヴァージンオリーブオイルを選び、その種類にあった調理を選択できれば、加熱にも使用すべきです。(ピュアなどは絶対に使いません。あれはサラダ油みたいなものです。)

②どこの国を選ぶか。

主要生産国は、生産量順に、スペイン、イタリア、ギリシャ、トルコになるわけですが、産地・場所や品種、生産者によってさまざまです。一概には言えませんが、やはりこだわった生産者を選ぶのがよいでしょう。できれば試飲した方がいいです。

専門店で購入することをおすすめします。(全てではありませんが)デパートやスーパーでは、おしゃれなボトルでも欠陥品だらけです。少なくとも大量生産しているメーカーは避けた方がいいです。シングルエステート(小規模生産)が基本軸になるのではと思います。

また、スペイン以外の国では、原料が輸入品であっても自国産と表記していることが多いため、やはりトレーサビリティがしっかりわかるものを選んだ方がよいでしょう。

③酸化について

油の酸化は、一般的に空気・熱・光それぞれに接触する機会があればあるほど、早くなります。一概には言えませんが、原産地でボトリングされたもので、透明容器は絶対に避け、暗い遮光ビンを選ぶのがよいでしょう。

④ボトルの見方
オリーブオイルは鮮度が重要になってきます。収穫してからいかに早く搾油しているか(理想は数時間以内)がポイントになりますので、そこを極力見極めるといいでしょう。「手摘み」ものにこだわって選らんでいる方もいますが、かなり手間がかかっていますので搾油するまでに時間がかかり、酸化している恐れがあります。道具を使用して収穫したものの方が早く搾油できますので、案外「手摘み」がいいというのはいえません。

「D.O.P」や「I.G.P」の認証制度マークがあれば、信用できる一つの目安にはなります。(もちろん目安程度です)「BIO」マークは有機農産物認証になります。
裏ラベルには収穫年度を表記していますので、ここはよく確認するべきです。

⑤製造方法について

※いうまでもありませんが、化学精製されたものは避けます。
圧搾方法については、コールドプレス(低音圧搾、27度以下)のものが良いが、現実は27度以上あってもコールドプレスと表記されることが多いようです。遠心分離が悪いというわけではありませんが、極力、伝統的手法の昔から行われている製法に近いものを選びます。伝統的手法とは、石臼で実をペーストし、圧搾機でしぼり、円盤のマットを重ねていき、プレスし抽出する方法です。

最後のろ過については、ろ過した場合は日持ちは当然よくなりますが、貴重な微量成分などがなくなってしまいます。ろ過されてないものは、にごりがあるものの、微量成分もきちんと含まれ、栄養的にもよいです。しかし日持ちはしませんし、加熱した時に、にごりカスまでも焦げる場合があります。

⑥欠陥品(ディフェット)について

日本で流通されているオリーブオイルは、欠陥品(ディフェット)だらけです。詳しくは書きませんが、やはり専門店などで良い物を購入して、味や香りに慣れる必要があります。(そこそこわかれば、ボ○コなんて絶対無理になってきます。)

(補足)
・日本人は真面目な国民性のため想像もできないかもしれないが、現地では本当にニセモノが多い。それもあって世界中にオリーブオイルの鑑定士が多数存在するのかもしれない。
・オリーブは一神教のシンボルであるがゆえ、オリーブオイルの歴史をみると、侵略や戦争などのキーワードが必ずついてくる。オイル利権の起源みたいなもんですから所詮。
・エキストラヴァージンオリーブオイルは「軽やかな」ものから、「苦・辛い」もの、「青々しい」もの、「フルーティ」なもの、いろいろありますので、お好みで選んでください。

※参考:イタリアフード協会など。
※画像はwebより拝借。
 
 
吉冨 信長さんより転載
 
 
 

背中で聞く

 

 

 

 

相手と接する際は胸で聞くのではなく、
表側で聞いてみてはどうでしょうか



>>
じゃあなぜ、背中が表で、胸が裏なのかはてな5!


人間は昔、類人猿時代の歩行は四足で歩いていました。
それがやがて、進化の過程でだんだんと二足歩行になっていきました。
 
 
四足で歩いていたころを考えてみると、妄想
背中に光があたり、胸の方は影になっていますよね。


 
だから、二足歩行になった現代でもそのように表しています。
 
 
人間関係で考えてみると、
私たちは、自分以外の相手と接する際はみんな胸側、
つまり裏側で接しています。
 
 
裏側で接しているということは、
相手の嫌な部分や影の部分が自然とわかってしまうということがあるかもしれません

 
だから、私たちは人間関係に嫌気がさし、疲れてしまうのではないでしょうか。
 
 
そう考えると、
相手と接する際は胸で聞くのではなく、表側で聞いてみてはどうでしょうか



背中側で話を聞く。



これを意識すると、本来の人間関係が気づけるかもしれません。
 
 
 
山﨑徳子さんより転載

 

 

塩(高血圧との関係)

 

 

 

本物の塩と、ニセモノの塩

高血圧に関する基準の嘘と、降圧薬の嘘と危険性についてこれまで述べてきたが、そもそもその前に嘘が流布しているということを、人々はどれくらい把握しているのだろうか。その嘘こそ「塩の嘘」であり、つまり「高血圧=塩の取り過ぎ」という大嘘のことだ。
 
現在、販売されている塩の大半は化学的に精製された「精製塩」であり、かなりヤバい加工がされた塩であるということをほとんどの人が知らない。精製塩のほぼすべてが塩化ナトリウムで構成されていて、天然の塩が持つさまざまな価値を残していないと言える。これが日本人の血圧を狂わせてしまっている元凶の一つと呼べるものだ。
 
精製塩は人間にとって必須なミネラル分(カリウム、カルシウム、マグネシウムなど)がほとんど取り除かれており、その結果、体内のミネラルバランスを狂わせる。逆に天然の塩は人体に必要なミネラルが多数含まれており、体に有益なだけでなく、血圧もコントロールする作用を持つ。いわゆる生体恒常性が保たれやすい。それに年齢が増えれば血圧はやや高めの方が健康に良い。それは老人の認知症予防にもつながっている話である。
 
日本では古くから血圧が高めの人が多く、塩も良質のものが多かったが、第二次世界大戦後にその塩の販売を規制してしまった。
 
こう書くと、塩は一切血圧に関係ないかのように考える人もいる。ここでも単一論の弊害というものが現れている。たとえ天然の塩であってもあまりに取り過ぎれば害が出るのは当たり前である。たとえ天然塩であっても体の声に耳を傾け、バランスを考えねばならない。重要なのはまず精製塩を避ける努力をすることである。それを天然の塩にしただけで、今と同じ味付けにして、減塩食など気にしなくても、大きくバランスを崩さなければ、血圧は体が求める数値に近付くのだ。私は自身だけでなく子どもの玄米食にごま塩を振って味付けする。子どもがおいしいというし、放射能の防御にもなるから実践している。真の天然塩には高血圧だけでなく、そういう作用があることも知っていただきたい。