om shiva om

「愛が関係性であったことはない、愛は関わること」

 

関係性は、
何か完結したもの、
終わったもの、
閉じているものを意味する。

愛が関係性であったことはない、
愛は関わることだ。
それは常に、流れ、
終わることのない河だ。

愛は、
完全に止まることを知らない。
蜜月が始まり、
しかし、
けして終わることはない。
それはまるで
ある地点で始まりながら、
けして終わることのない
物語のようだ。
それは進行し続ける現象だ。

恋人たちは終わる、
愛はつづく。
それは連続体だ。
それは動詞であり、
名詞ではない。

では、
なぜ私たちは
関わることの美を
関係性へと
引き降ろしてしますのだろう?
なぜ私たちは
そんなに急ぐのだろう?

なぜなら、
関わることは不安だからだ。
そして、
関係性は安全だからだ。
関係性には、
確実さがある。
関わることは、
二人の見知らぬ同士の出会いだ。
たぶん、
一夜だけともに過ごし、
朝にはさようならを
言うことになるかもしれない。
明日何が起こるか、
誰にわかるだろう?

そして、
私たちはそれをとても恐れ、
それを確かなものに
しようとする。
それを予測可能なものに
したいと思う。
明日という日を、
私たちのアイデア
沿ったものにしたい。
それがそれ自身の表現をする自由を
許すことができない。
それで、
即座にすべての動詞を
名詞へと引き降ろす。

女性と、
あるいは男性と恋に落ちると、
あなたは即座に
結婚することを考え始める。
それを法的な契約にする。
どうしたら、
法律が愛になるのかね?

法律が愛になる、
なぜなら、
そこには愛がないからだ。
それはただの幻想で、
そしてあなたは
幻想は消えるものだと知っている。
それが消えてしまう前に落ち着くのだ、
それが消えてしまう前に、
別れることが不可能になるように、
何かをするのだ。

より瞑想的な人々とともにある、
地球の上に
もう少し光明の広まった
よりよい世界では、
人々は愛するだろう、
とてもとても愛するだろう、
しかし、
彼らの愛は関わることにとどまり、
関係性ではない。
そして、
私は彼らの愛が
ひと時だけのものだろうとは言わない。
あなたの愛より、
彼らの愛が深くいく可能性が
大いにある、
親密さの優れた質、
より詩的であり、
神がその中に在るような質が、
もっとそこにはある。
そこには彼らの愛が
あなた方のいう
いわゆる関係性が終わるよりも
ずっと長くあり続けるだろう
あらゆる可能性がある。

しかし、
それは法律、法廷、警察官によって
保障されたりはしない。
保障は内的なものだ。
それはハートから
のコミットメントだろう、
それは静かな
コミュニオン(交感)だろう。
もしあなたが
誰かといることを楽しむなら、
あなたはそれを
もっともっと楽しみたくなるだろう。
もしあなたが
親密さを楽しんでいるなら、
その親密さを
もっともっと探求したくなるだろう。

そして、
長い親密さの後にだけ咲くような
愛の花がいくつかある。
陽の光のもとで、
6週間だけ咲くような、
季節の花々もある。
しかし、
6週間のうちに、
彼らは永遠に去ってゆく。
咲くまでに数年を要する花がある、
また、
咲くまでに
長い年月を必要とする花もある。
それが長い時間を経るほど、
それはより深く行く。

しかし、
それはひとつのハートから
もうひとつのハートへの
コミットメントでなくてはならない。
それは言葉にすらされえない、
なぜなら、
言葉にすることで、
それは汚されてしまうからだ。

それは沈黙の中での
コミットメントでなくてはならない。
目から目への、
ハートからハートへの、
存在から存在への。
それは理解されなくてはならない、
言葉によってではなく。

結婚するために
教会や裁判所に行く人々を見るのは
とても醜い。
それはとても醜い、
非人間的だ。
それはただ、
彼らがお互いを
信頼していないことを表している、
彼らは自分自身の内なる声よりも、
警察官を信頼しているのだ。
それは彼らが
自分たちの愛を信頼せず、
法を信頼していることを示している。

Osho - The Book of Wisdom