om shiva om

新しい人間には、危険を冒す用意がある。

 

 

 

新しい人間には、危険を冒す用意がある。

osho

生の非永遠性と共に生きるには、ガッツがいる。

何故なら、いつも何かが変化し、そのたびにあなたは、

自分を変えなければならないからだ。

人は一定のままでいたがる・・その方が安全で、安心のように思えるのだ。

古い人間はそうやって生きて来た。

古い人間は、冒険を好まなかった。

その全ての関心は、安全性にあった。

新しい人間は、冒険心を持つことになる。

その関心は安全性にはなく、関心はエクスタシーにある。

人は「私は知らないが、知ることに関心がある。

私にはどんな次元、どんな冒険にも入って行く用意がある」

と言えるだけの能力と、勇気を持つことになる。

新しい人間には、危険を冒す用意がある。

古い人間は、非常にビジネスライクで、危険を冒す用意は全くなかった。

危険とは呪いのことで、安全こそが古い人間のゴールだったのだ。

だが安全と共に、あなたは死に始める。

生がより高く、より高く豊かさを増して成長していくのは、

ヒマラヤの幾つもの頂きに届くのは、冒険、絶えることのない冒険の中でのみだ。

新しい人間は、自然にあるがままの人で、

予測はつかず、新しさを賭け、ワイルドなこと、

型破りのことを言ったりやったりする危険を、しばしば進んで冒す。

全てが可能で、何でもやってみることが出来る、ということを信じている。

すでに知られているものには執着せず、未知のものに 、
 
知ることの出来ないものにさえ、常に自分を開いたままでいる。

が、理想家ではないから、どんな未来の為にも犠牲は払わない。

どんな抽象概念、理想、イデオロギーの為にも、犠牲は払わない。

自分自身の体験を信頼し、外にある全ての権威に対しては、深遠なる不信を抱く。

新しい人間は、自分自身の体験しか信頼しない。

自分で何かを知らない限り、それを信頼したりはしない。

外にある権威が、新しい人間の役に立つことなどあり得ない。

「私がそう言うのだから、あなたは信じなければならない。

私達はいつも信じて来たのだから、あなたも信じなければならない。

私達の祖先が信じたのだから、あなたも信じなければならない。

ヴェーダやバイブルに書かれているのだから、あなたは信じなければならない」

などとは、誰も言えないのだ。

新しい人間は、そうした馬鹿げたこととは何の関わりもない。

新しい人間は、自分が知って初めて信じる。

これが本当の信頼・・自分自身の可能性への、自分自身の潜在能力への信頼だ。

新しい人間は、自分に敬意を払う。

外側にある権威を信じることは、自分自身の存在に敬意を払わないことだ。

これこそ、私から見れば、今日起こっているもっとも重要な現象だ。

新しい人間が存在し始めている。

最初の光が、すでに地平線上に現れている。

新しい人間を受け取る準備を整えるがいい。

用意しなさい。

今にもあなたの扉を

ノックしようとしている客を迎える、主人になるがいい。

そして、それこそがサニヤスとは何かの全てだ。

準備・・新しい人間を受け取る準備を整えることだ。

新しい人間を受け取ることは、大いなる冒険になる。

それには危険も伴う。

というのも、古いものがそれを嫌うからだ。